子育ておじさん

40代のおっさんの子育てメモ

時間泥棒

息子 0歳

 

赤ちゃんは時間泥棒だと思う。「時間泥棒」とは、「人の時間をうばうものごと」(三省堂国語辞典)。例として「ゲーム」や「遅刻」が挙げられている。

子供が生まれる前、私の時間泥棒といえば仕事とゲームだった。仕事はそこそこ好きで、ゲームはもちろん熱中してやっている。麻雀やらクイズやらにのめりこんでいた。それらに時間をもっていかれるのはまあ、納得だ。楽しいのだから。

 

まず育休を取った。当然仕事の時間はなくなる。いや今はスマホでちまちま対応してしまったりもするが。

育休は息子の世話をするためだ。当然ゲームの時間は減る。麻雀を打っている間に息子が泣き出したら投げ捨てて行かなければいかない。

かくして息子はめでたく新たな時間泥棒の地位に就いた。

 

妻は母乳をやってくれているが、ミルクも与える混合栄養。だいたい3時間おきのミルク作りと授乳は分担している。

おむつも濡れていることに気づけば替える。ぐずったら抱っこであやす。遠出をするわけにもいかない。

 

子育てをしたことがある人なら、「背中スイッチ」という言葉は知っているだろう。職場の子育て先輩(たいがい年下)からもよく聞いた。

抱っこしている間は寝てくれるが、床やベッドに置いた瞬間に目を覚まし泣き始める。まるで背中にスイッチが付いていて反応しているみたいだ、というわけ。

うちも例外ではなく、結局多くの時間、息子を抱っこして過ごす。この状態では本や新聞もなかなか読めず、ネットサーフィンも難しい。せいぜいテレビを眺めるぐらい。それでも息子がぐずれば体を揺らしてあげたり歩き回ったり。

うちの子は縦抱きにして上下に動かされるのが好きなようだ。当然他のことに集中できるわけもない。

 

赤ちゃんは「自分の世話に集中しろ」とこちらに強要する。効率よく他のことと両立させるなんてことを許してくれない。言葉で「こうしてほしい」と伝えてくれないから、なぜ泣くのかもわからない。試行錯誤してその望みを叶えてあげないといけない。

なんと不合理で、非効率なのか。どんどん時間をもっていかれる。笑顔に癒やされるとはいえ、ストレスはたまる。

 

でも。

ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出す。この物語にも「時間泥棒」が登場した。時間泥棒は人と人の交流の時間を無駄なものだとして、人々にその時間を削らせた。人々はせかせかと生きて、時間を節約しているつもりが盗まれていた。

私は赤ちゃんに時間を盗まれた。「お金を稼ぐために働く時間」や「自らの楽しみを追求する時間」が奪われた。

でも、代わりに「わけのわからない他者に向かい合い、無償で尽くす時間」は手に入れた。それは「モモ」の世界で人々が時間泥棒に盗まれた時間。

 

育休は1カ月。長くも短くも感じられた。これは充実しているからこその感覚だと思う。赤ちゃんは時間泥棒でありながら、いくら時間があっても得難い時間を与えてくれるものかもしれない。